松久園の歴史

苦難の渡道

明治期、岐阜県の農家で四人兄弟の長男として生まれた初代・松久市治。

北海道移住を強く志し、31歳のとき妻と三人の子供を連れて今の川西地区に入植しました。

明治期、岐阜県本巣郡の農家で4人兄弟の長男として生まれた初代・松久市治。北海道移住を強く志し、31歳の2月、妻と3人の子供を連れて今の川西村に入植しました。鍬一丁、馬もない開墾では、一年で約1.5haの畑を作るのが精一杯。苦難に次ぐ苦難が続きました。しかし、老父の急死により、土地・家屋を整理して財産に余裕がでました。そのとき、美生に畑になった売地があることを聞き、買い求めたのが今の「松久園」の地です。

大きな民家、にじます養殖・釣堀

治はこの後、明治末期から大正にかけて馬鈴薯の作付けを中心に農業を発展させ、大正六年に当時としては破格の大きな家を建てました。

戦後、二代目正光は農業の他に年間を通じて出来る副業になればと、大正サケ・マスふ化場からにじますの卵を購入。

これが好成績を得て、昭和三十三年頃には道立水産ふ化場から購入した五万粒の卵を契機に完全な事業をスタート。

ところが流通ルートが見出せず、直接魚を買ってもらうしかないと釣堀を始めました。

 


老舗への歩み始め

そして昭和三十六年、食堂を経営する知人が「この立派な住宅をもっと活用してはどうか。私が料理の指導をするから」と助言。

これがにじます料理の松久園の幕開けとなりました。


松久園の近況風景

 

木に囲まれた落ち着いた空間で、「お料理」、「お時間」をお楽しみください。

 

お客さまがまず目にする階段たんすは、江戸末期、階段下の空間に収納機能を持たせて有効活用するという生活の知恵から生まれた日本独特のスタイル。

海外ではとても人気があります。

 

当園の一階の光が差し込む南側の明かり障子には、糸ガラス(極細のガラス繊維を固めて、紙状にした不織布状の素材)に柳の木とツバメが1羽飛んでいる姿、欄間には、水辺の風景が描かれた糸ガラスがはめ込まれています。